民族

日本国籍を有さない外国人や日本列島外にルーツを持つ帰化した日本人が200万人程在住している。現在、在住人口の約1.5%が外国人登録者である。中国籍、韓国籍、朝鮮籍、台湾籍、ブラジル国籍、フィリピン国籍の順に多く、韓国・朝鮮籍を除けば増加傾向にある。近年の外国籍の増加の背景には、1990年(平成2年)の入管法改正でブラジルなどに移民した日本人の子孫の日本での就労が自由化された事が大きく、更に結婚の国際化などもある。その他、戦前の亡命ロシア人の子孫も少なくない。

韓国籍、朝鮮籍、及び台湾籍については、戦前の旧・日本領の出身者、および両親のうちいずれか(あるいは両方)がその出身である者の子孫が多く、中国残留孤児や家族の永住帰国もいる。更に、韓国籍、朝鮮籍に関しては、戦後になってから朝鮮戦争や貧困・圧政から逃れて渡来してきた難民が30万人程いる。

1895年(明治28年)に台湾を、1910年(明治43年)に朝鮮半島を併合後、太平洋戦争敗戦まで日本の一部として、台湾人朝鮮人にも日本国籍を与えていたため、これらの地域にルーツを持つ人々が多く、順次、経済的に豊かであった本土に移住してきた者も少なくない。ただし、朝鮮人の移入が始まると政府は朝鮮人の本土への移動を禁止した、その為不法に入国(移動)し住み着いた朝鮮人が戦前戦後に急増した。また、大戦中に軍人軍属として、又は、労働者として志願して来た者もいる。終戦の後、彼らの多くが祖国へ引き上げたが、各人の判断や事情によって日本に留まったり、いったん帰国した者の内の一部が戦後の祖国の混乱(朝鮮戦争)(国連による難民認定がされている)や韓国軍による虐殺(済州島四・三事件)、また差別階級の出身者が多かったため祖国を逃れて日本に渡ったりした。その後、サンフランシスコ平和条約締結によって日本国籍を喪失したが、特別永住者として在住し続ける者も多い。現在では、日本生まれが多数派であり、帰化して日本国籍を取得する者も多い。日本国籍を取得していない場合もあり、その場合は当然日本国民とは呼べない。無国籍状態や多重国籍状態の者も少なからず存在する。

日本では明治以来、日本国籍保有者は出自に関わらず法的には日本人の地位として扱われているが、文化的に「外人」の陋習が根強くあり、両親のうちいずれかの家系に外国籍(他民族・他文化)の血統があることで外人扱いすることがあり血統差別の問題を生んでいる。とくに韓国・朝鮮系を両親にもつ日本国籍取得者、あるいは韓国・朝鮮籍人と日本国籍人の両親から生まれた子孫に、民族意識と国籍の乖離の問題が多く現れている(参照:在日韓国・朝鮮人)。これは韓国社会が日本と同様に血統主義・純血主義の傾向を持つことも影響しており、日本社会の側も彼らを国籍とは関係なく外人扱いすることがある。戦後の日本社会に歴史的に形成されてきた韓国・朝鮮文化アイデンティティは、かつては日本社会による韓国・朝鮮人差別として指弾され、昨今では逆に彼らの日本文化や日本民族(大和民族)への差別意識や特権意識(アファーマティブアクションに乗じたモラルハザード)が問題とされしばしば指弾されている。

アイデンティティと国籍の問題は明治の開国以来、日本が否応なく直面することになった人権問題であり、戦前から華僑印僑の人々や様々な移住者、戦後ながらくは台湾・中国系日本人コミュニティの間で葛藤を生んできた。近年では日系移民2世3世の出稼ぎ労働や、東南アジア・中国からの「研修労働者」、不法入国(滞在)労働者の人権問題などが発生している。

起源

日本人の起源は、いわゆる縄文人を基層に弥生時代の前後に、南東・東アジアから移住したものとの説が近年有力(近年のDNA追跡)だが、詳細について諸説あり、定かでない。自称として「和人」、あるいは近代的な民族意識の下で「大和民族」・「日本民族」とも言う。古代からの天皇を頂点とする近畿地方の朝廷と、中世以降における天皇を支配の正統原理として後ろ盾とする武家政権との二重構造で成立した中央政権の支配下に入った地域の住民が、固有の大和民族とされる。   南西諸島の人々は、縄文時代から弥生時代にかけて九州から南下した人々が中心となっているとされ、言語的にも本土の住民とルーツを同じくしていることは明らかである。    またアイヌ民族は、いわゆる民族としては中世から近世にかけて成立したとされる(本土の大和民族との接触が大きい)。ただし、アイヌ民族は縄文時代人の直系子孫との見解が、ここ最近の人類学会では、ほぼ定着している。もちろん、その歴史的背景、特に江戸時代から明治期以降の差別問題、そして最近では北海道の土地をめぐる裁判など多くの社会問題を抱え込んでいるため、一般人向けの書籍など(新聞や雑誌テレビなどのマスコミを含む)でこの点が明記されることはほとんど無い(歴史教科書も含む)。それでも、学会、特に遺伝学会や人類学会では、アイヌ民族が縄文の直系子孫であることに、現在では異論はもはやほとんど無い。考古学や歴史学の立場から見れば、アイヌ民族の成立過程は、遺伝学的立場からの生物学的過程と異なり、深い検証が必要であるとして、遺伝学会などの立場をやや批判的に見ている研究者も多い。 これらの見解の相違は、日本人あるいは日本の成立と同じ問題を抱えており、何を持ってアイヌあるいはアイヌ文化と見るか、による。歴史学や考古学の立場からは、相変わらず、中世の擦文文化やオホーツク文化の影響を強く主張し、それらとの接触を経てアイヌ文化がやがて成立するという見解を取る研究者が多い。しかし、これは現代にまで残る考古学遺物にもとづた見解であり、土器やその他の遺物、遺構の型式あるいはその発達が、果たして民族と同義あるいは民族の成立そのものを示すのか、という考古学に含まれる根本的な問題が残されている。   その点では、遺伝学的生物学的に縄文時代の人間と直接の遺伝関係を強く持つ(大和民族も縄文人との遺伝関係が無いわけではない。しかし、アイヌのほうがより強い)という科学的な分析結果のほうが、より多くの一般人に対して説得力を持とう。しかし、遺伝学や生物学という学問の専門性の高さや、先に上げた社会的な問題から、この点について大きく触れることはない。  もちろん現在では、アイヌ民族は日本国民でもある。    縄文晩期以降、ユーラシア大陸からの移住者が縄文時代からの土着の狩猟採集民と混血しながら倭人(和人)としての文化を形成する。ヤマト王権の成立に伴い、和人としての文化的な一体性が形成される。その後、蝦夷など朝廷の支配下に入るのが遅れた人々を同化しながら文化圏の拡大を続け、平安時代までに本州・四国・九州の全域が和人の生活範囲となった。江戸時代には、薩摩藩による琉球への侵攻、松前藩のアイヌ支配の確立により、北海道・南西諸島を含む日本列島の全域が和人の勢力圏に置かれた。

「蝦夷地」と総称された現在の北海道千島列島樺太南部に居住したアイヌや、琉球王国を樹立した南西諸島の人々は、弥生時代以降、本土と交流を持ち続けつつも、江戸時代まで政治的には本土の政権の支配下には入らず異なる歴史を歩んだ経緯がある。現在、アイヌ語を第一母語とする人々はすでに絶えているが、アイヌ文化振興法が制定されて郷土文化の保存・再興が図られている。なお、アイヌと共に南樺太にいたウィルタニヴフの多くは、ソビエトの侵攻・占領の後、北海道や本州へ移住した。また、小笠原諸島には、19世紀初頭にハワイから植民団が入植してヨーロッパ系アメリカ人やハワイ人による小規模なコロニーが形成されたが、明治維新の後に日本による領有が確定すると順次、彼らも日本国籍を取得して日本人の社会に溶け込んだ。


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