日本
ふそう(扶桑)は日本の異名の一つとされる。1094年の史書『扶桑略記』のタイトルに初期の用例が見られる。
一方、1712年の類書『和漢三才図会』は「扶桑」の項で、『三才図会』からの引用(『梁書』の要約)の後、注釈で
疑ハクハ是當ルカ二北東ニ一乎誤チ以爲二日本ト一而扶桑ノ爲ル二日本ノ別號一者不レ當タラ
(疑はくはこれ北東に當たるかや、誤ちもつて日本とす。而して、扶桑の日本の別號なるは當たらず)– 『和漢三才図会』巻之十四 外夷人物「扶桑」
と、日本説を否定している。
平田篤胤 (1776–1843) は、文献で言及される扶桑の独自の文字を神代文字だとして日本説を強硬に主張した。
北米
フランス人東洋学者ジョセフ・ド・ギーニュ Joseph de Guignes (1721–1800) は1761年、『梁書』に書かれた距離から扶桑は太平洋の対岸だと考え、文身国は蝦夷地(北海道)、大漢国はカムチャッカ、扶桑はカリフォルニアだとした。それを受け、18世紀のいくつかの地図では、カリフォルニアの北方、現在のブリティッシュコロンビア州(カナダ西海岸)あたりに扶桑と書かれている。
1753年フランスの地図。Fou‐sang と書かれている
1792年フランスの地図。Fousang と書かれている
ドイツ人東洋学者カール・フリードリヒ・ノイマン Karl Friedrich Neumann (1793–1870) は1841年、ド・ギーニュ説を修正して道程をやや伸ばし、大漢国をアラスカ、扶桑国をメキシコとした。
架空説
白鳥庫吉 (1865–1942) は、慧深の証言は虚偽であり、扶桑国は実在しなかったとした。
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